小田原の丘の蕗の薹を摘んで食べる白秋
08年04月29日
大正十四年の早春、白秋は木兎(みみづく)の家の庭に出た。そして、小田原の丘を歩き出す。庭や丘に出ている、土筆(つくし)や蕗(ふき)の薹(とう)を白秋は摘んで、持ち帰った。妻菊子は、すぐに佃煮や御汁にする。詩文評論集『季節の窓』で白秋は、「わたくしは徹夜つづきでわたくしの仕事にいそしんだ。東京からの引きつづきでもう彼是二十日の余もこの徹夜をぶっ通してゐる。それでほとんどこの窓から眺める季節しかわたくしのものでは無かったやうな気がする。それでも閑暇(ひまびま)にはちょいちょい蕗の薹を見つけたり、摘んで御汁に入れさしたり、焼いたりした。」と言っている。庭でみつけた蕗の薹と、三歳になる長男隆太郎が三輪車で遊ぶ姿を重ねて、童謡『蕗の薹』を書いた。
「蕗(ふき)の薹(とう)」
蕗のこどもの ふきのたう(蕗の薹)、
子が出ろ、子が出ろ、ふきが出ろ。
となりの雪もとけました、
おうちの雪も照り出した。
出ろよ、萌黄の ふきのたう、
りんりんのりましよ、三輪車。
この童謡は、雑誌『赤い鳥』大正十四年三月号に収収載された。
絵は、雑誌『赤い鳥』の挿絵より

「蕗(ふき)の薹(とう)」
蕗のこどもの ふきのたう(蕗の薹)、
子が出ろ、子が出ろ、ふきが出ろ。
となりの雪もとけました、
おうちの雪も照り出した。
出ろよ、萌黄の ふきのたう、
りんりんのりましよ、三輪車。
この童謡は、雑誌『赤い鳥』大正十四年三月号に収収載された。
絵は、雑誌『赤い鳥』の挿絵より
















